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  • 執筆者の写真カウンセリングサロンrenka

アダルトチルドレンの生き辛さと道のり

現実世界を生きている私たちは 「生き辛さ」を抱えながら 今日を生きています。


何をしていても他人の目が気になったり

常に全力でいないと気がすまなかったり

小さなミスに胃をキリキリさせたり

行き過ぎた完璧主義に悩まされたり

居場所が無いと感じていたり

自分と世界とは相容れないと感じていたり。



そう感じる原因は様々で、 生き辛さの内容も人によって変わってくると思いますが 人それぞれ そんな思いに囚われながら生きるのは 苦しいことです。

それは 長い道のりを 重い荷物を背負ったまま歩かされるようなものです。


まるで修行僧のように ボロボロになりながら 目的地もわからないまま 肩に食い込むものの重さを感じながら歩く気持ちは、どんなものでしょうか。

すれ違う誰かは、自分よりはるかに荷物も少なく 自信を持って軽やかに歩いている(ように見える)。

誰かのように 辺りの景色を楽しんで歩きたい。

風を感じたり、日差しの温かさを味わいたい。 「行けるところ」ではなくて「行きたいところ」に行きたい。


本人の切なる願いを叶える方法は 自分では気付くことが難しいのですが 実は他人の目から見たら、一目瞭然だったりします。



「手放す」こと。

重い荷物を下ろして 手放すと決めること


それは簡単で けれど とても勇気のいることです。


その荷物は 私たちの人生の早い時期から 両親の手で担がされたものだからです。


しんどくなるたびに 今まで何度も荷物の中身を検めてきたけれど

何度見ても 石ころが詰まっているだけにしかみえないけれど


ここまで背負ってきた 「これを持って行けば間違いないから」 そう言いながら両親が背負わせてくれたものだから

もしかしたら 「要らない」と思う自分が間違っているのかもしれない。



手放すことが簡単だと 頭では理解しているのに それを持たない自分を想像できない それを持たない自分がとても怖い。

だからまた 生きづらさという重荷を背負ってしまうのだと 私は思います。






私には 他人のことが信用できなくて 必要以上に距離を取ってしまう癖があります。


誰かと対立することが怖くて ちょっとしたことでも迎合してしまうし

誰かと親密な関係を続けることが難しくて いつも まわりから少し浮いてしまうのです。

本当はもっと本音でしゃべりたいし 自然体の自分でいたい 誰かと普通に仲良くなりたい。

そんな自分と向き合って、少しずつ荷物を減らしていき 今はだいぶ「楽」になれたように思います。

カウンセリングを受けたり 心理学を勉強したり やれることを繰り返し、ようやくここまで来れた。

そんな実感があります。


アダルトチルドレンの生き辛さは 時間はかかっても改善していける。 私はそう信じています。

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